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危険に学ぶ機会ない世代

     

             作家 曽野綾子

 

 

 今から半世紀以上前の青年たちは可能か不可能か

は別として、「希望」か「野望」かを持っていた。

末は「博士か大臣か」という通俗的な世間の期待

は時代おくれとしても。

 

 

 しかし今のほとんどの青年たちは、そうした

遠い、何十年も先の目標を持っていない。

冷静に現実に目ざめているからとも言えるし、

目標とすべきターゲットが短距離にあるように

なったからでもあろう。

 

 

 目標が近ければ成功率も高くなるし、

危険も少なくなる。失敗する確率はかなり減る。

 

 

 今から70年近く前、まだ無名の文学少女だった

私が、初めて高名な評論家の臼井吉見氏にお会い

した時、臼井氏は温かく皮肉な眼をしながら、

 

「文学をするには俗に女と金と病気の3つの苦労

 をしなければならないと言われているんです

 けど、あなたはそのうち幾つをしてますかね」

 

と言われた。

 

 

 つまり男性の作家志望者なら、女にはふられ

裏切られ、さんざん貧乏を体験し、

決して稀ではない程度に結核などにかかって、

ベッドから空を流れる雲を見ながら、

将来というものにいささかの保証もない

暗澹とした数年を過ごさなければならなかった

ものなのだ。

しかしこうした一見無残な挫折と不屈の時期に

人間は自己を建て直し、社会の風雨にさらされる

すべを学んだとも言える。

 

 

 もう、そんな時代は過ぎたと言われれば

私はすぐさま同意するだろう。

しかし近く人生を閉じる私の世代が生涯を

ふり返って往時を考えれば、近年の、

すべてが予定され仕組まれ計算された人生の

凡庸さにはない、

自然で強引な運命に翻弄される、

というおもしろさがあった。

 

 

 野の草は、人や獣に踏まれれば、

その場で折られたり倒れたりする。

しかし危害の元になる存在が立ち去れば、

多くの場合、必ず根本から栄養を吸って

起き上がる。

 

 

 踏まれるシナリオは決して望ましいもの

ではないが、立ち直ることが生命力の存在の

証であり、また希望でもあった。

 

 

 自然を生き抜く野生の動物は、本能という

で、いつも起こり得る運命の変化に対処して

構える能力を磨いている。

しかし今は自分の行動の予定、その実行と

齟齬に対して、スマホやパソコンも使って

頼れるから、そのプログラムにない状況が

出てきた場合、自分ではどうしていいか

わからないらしい。

 

 

 突然のできごとに対処できてこそ

生きる資格のある動物なのだと思うが、

今の子供たちは、

予定にないこと、予定が狂うこと、

予定に危険が含まれていることを避けたがる。

 

 

 近年まで、私は毎年のようにアフリカに

行っていたが、若い世代を誘っても

 

「行きたくない」

 

と断る人がかなりいた。

不潔、不便、コミュニケーションの不備

などが、いやなようだった。

 

 

 私はアフリカから帰る度に、

 

「アフリカは偉大な教師です」

 

と言っていたが、アフリカを避ける彼らは、

アフリカから学ぶ機会も失って、しかも

少しも残念だとは思わないようであった。

 

 

 

        I.N.O

              (今・・・何を・・・思う・・・)

 

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