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「悪」に触れるのも教育

小さな親切、大きなお世話

 

         作家 曽野綾子

 

 最近のウイルスはなかなか賢くて、

ちゃんと日本の地図上の区切りを理解するようだ。

 この原稿を書いている19
日から私たちは

「県をまたいで」出歩いてもいいことになった。

それを今まで文字通りまともすぎるほどまともに解釈して、

「川向うへは行けません」と言っていた人が

現実にいたので、私は驚いてしまったことがある。

 私の家は東京の西のはずれ、つまり多摩川のすぐ傍である。

橋一本渡れば神奈川県だが、それを渡ってはいけない、

と思いこんでいた人が、昨日までいたことになる。

 これは、相手の性格上の問題か、日本語解釈の能力の問題か

わからないが、世間には現実にそういう人がいて

けっこう家族や職場の人々を悩ませている。

 文字というものは、確かに正確に解釈した方がいい。

しかし人間の心のひだの折れ曲がり方の複雑さは、

決してそんなに単純なものではない。

言わなかった部分、遠回しにふれた話、別人の話として

伝えられた内容など、その伝達の方式はさまざまだ。

こうした部分の重さは、学校でもあまり教えられない。

わが家の場合は母親が解説してくれた。

家に来た人が、母の居間の炬燵に入って、

好き勝手なことを喋っていく。

それを、宿題をするふりをしながら聞くことで、

私は随分世間を学んだ。

 親に隠して読んだような本も有効だった。

子供の私に、わざわざ大人だけが知っていればいい話を

してくれる大人もいた。そのおかげで、私は

「知るべきことをある程度知った」大人になれた。

 子供の時には、確かに「知らなくてもいい悪い話」はある。

しかし大人になるまで知らない方がいいと思った事実はない。

悪は悪で、人間の心を育てる役に立つ。そのままだったら、

始末の悪い単純な大人になるところを、悪い現実が

私を救ってくれて、少しは複雑な成人にしてくれたのだ。

 昔は、そのために手助けをしてくれたのは、

身の回りにいる悪い人や、本や事実だった。しかし今では、

「悪いことが人間を育てることもある」

などという言葉は聞いたこともない。

 外国を旅行していると、つくづく人を信じないことが

犯罪を防いでいるし、私という人間を育ててくれている

と思うことがある。

近寄ってくる人は一応、詐欺師か泥棒と思って、身構えている。

しかし現実にはほとんどそういうことがないから、

私は「ああ、悪いことを思った」と自分を責めることになる。

 一般的に言って、他人を責めるより自分を責める方が、

ずっと後々まで自分のためになる。

他人を責める癖のある人は、不満のはけ口を単純に見つけられ、

しかも自分は全く傷つかないから、人生の不満が身の足しに

ならない。そして何より自分の身辺が暗くなる。

 私は少し長生きして、自分の人生を見直す余裕もできた。

自分の人生が暗かったと思う人は、その人自身が他罰的な性格

だったのか、家族の一人がそうだったのか、なのである。

その部分の大切な教育は誰がするのか。

 

 

 

 

             I.N.O

                        (今・・・何を・・・思う・・・)

 

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